よく、大きな仕事の打ち上げや、忘年会などで「では、本日は無礼講で」などと始まることがありますよね。
なんとなく、お決まりのように流してしまっていることがあるかもしれませんが、「無礼講」ということばを額面通りに受け取っては危険です。
また、無礼講の由来についても説明いたします。
では、無礼講と言われてたときは、どこまで許されるのでしょうか?
正解はいつも通りです。ハメを外し過ぎてはいけません。
ちょっとリラックスするぐらいで、いつも通りに振る舞うのが正しい「無礼講」です。
では、勘違いしやすい間違いを上げてみました。
◆言葉使いに気を付ける
年上の方、上司の方、最近は年下上司もいますが、言葉使いに気を付けましょう。
馴れ馴れしい言い方や、タメ口(対等な言葉使いですね)は厳禁です。
気を使い過ぎても不自然ですが、言われた方が気持ちが良くないものです。
◆他人の悪口は言わない
そこにいない人でも悪口、陰口は慎みましょう。
その場を盛り上げようととして、ノリで悪口を言ったり、陰口みたいなことを言ってしまうことがあります。
言われた人と親しい人は良い気持ちではありませんし、なにより、あなたの人間性が疑われてしまいます。
◆飲み過ぎない
気を緩めてお酒が進み、飲み過ぎてしまうことがあります。
良い過ぎると、節度を無くしてしまいます。
酔いつぶれて、嘔吐したりしたら最悪です。
また、そこまでいかなくても、翌朝に残って、仕事に差し支えたり、遅刻などしないようにしましょう。
◆暴力は論外
肩を強く叩いたり、握手する力を強くしたり、気が大きくなって暴力的な行為に走ってしまう方がいます。
度が過ぎると社会人生命も失いかねますので、気を付けましょう。
◆他人に迷惑は掛けない
大きな声を出し過ぎると、他の人には迷惑です。
また、お店のものや公共物を壊したり、持って行ったりしないようにしましょう。
朝、起きたら何故か家に知らない物がある。以外と良く聞くことです。
由来は平安時代から始まります。
公家社会の宴席はしきたりが厳しかったです。
席順が厳しく決まっていて、偉い順に並び、その座席にも差がついていました。
公家は一度その座に坐ると、他の座席に移動することは許されませんでした。
宴会の進め方にも厳しいしきたりがありました。盃は上から順に回され、これが一巡すると「一献」といい、2度目が「二献」、3度目が「三献」です。
盃を回す間も歌合わせがあったり、色々と催しものがあり、時間がかかっていました。
そういったしきたりを破って宴会をしたのが後醍醐天皇です。これが無礼講の始まりと言われています。
後醍醐天皇は、本来は決まった座席を立ってはならない参加者が席を立ったり、途中で酌をすることを許しました。
本来の無礼講はこの程度のことだったのです。
ただこの「無礼講」は裏があります。
後醍醐天皇が鎌倉幕府(北条氏)を倒す意思を探るために美濃源氏の土岐頼貞、多治見国長、足助重成らをお花見に招きました。
その席では内容が外に漏れない様身分関係を抜きにして、わざとハメをはずした酒宴を催したわけです。時の権力者をあざむく為の宴にかこつけた協議の場をつくったのです。
しかし、毎日のように続く当時の常識や礼儀をを欠いた宴会の様子に回りの人々が驚き、「無礼講」と呼んだと言われます。
現代社会に平安時代の無礼講は不要ですよね。
では、何故現代も無礼講は続いているのでしょうか。
理由として考えられるのは、気兼ねなく楽しんでほしいという意味があります。
また、上の方が、自分が大らかな気持ちを持った人間に見られたいという気持ちもあるようです。
これは勘ぐり過ぎかもしれませんが、普段は見れない、部下の本心を探ろうとする意味ももあるとか・・・。
◆無礼講でもハメを外し過ぎない。
◆無礼講の由来は平安時代からの宴会のしきたりを破った後醍醐天皇から。
◆現代の無礼講はリラックスして楽しむ程度で。
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