「パンチパーマ」の元の名前は「チャンピオンプレス」

最近はあまり見ない「パンチパーマ」

ちょっと怖いイメージもある反面、「パンチ佐藤」というかつての人気者も愛用していました。

そんな「パンチパーマ」ですが、元々の名前は「チャンピオンプレス」というそうです。

本当でしょうか?

◆「パンチパーマ」の誕生

「パンチパーマ」が誕生したのは1970年代の北九州市。

理容師・永沼重己さん(ながぬま しげみ、1936年 – 2012年4月3日)が黒人の髪形をヒントにして考案しました。

約160℃のパンチアイロン(製品名・丸型アイロン) を超極細に改良し

(昭和51年特許申請、昭和55年「整髪用電気アイロン」として登録)、

その改良超極細アイロンでパーマをかけた髪型を発表。

ヘアーアイロンを髪に当て、手首を回してパーマをかける。髪の多い人で巻く回数はなんと約600回!!

永沼さんが「これ以上はない」という気持ちから「チャンピオンプレス」と名づけました。

しかし、いつの間にか「パンチパーマ」と呼ばれるようになりました。

「パンチの効いた」イメージが呼称の由来とも言われますが、

パンチアイロンでかけたパーマなので「パンチパーマ」となった説が有力です。

 

pannti

 

◆流行と衰退

1970年代当時はグループサウンズや吉田拓郎などのフォーク勢の多くは長髪でした。

それに憧れた若者も多く真似て髪を伸ばしていました(長髪、ベルボトムの時代ですね)。

この長髪の流行により理髪店は売上が低迷、それに危機感を覚えた全国理容生活環境衛生同業組合連合会(全理連)が

緊急プロジェクトチームを結成し、ファッション性の高いショートヘアスタイルの開発に乗り出しました。

長沼さんご自身が全国各地の理髪店に講習に行ったこともあり、爆発的流行となりました。

普及に貢献したのは、生番組「銀座NOW!!」の中で「失恋レストラン」でデビューした歌手の清水健太郎さんです。

パンチパーマで、シャイしかも硬派なイメージで売り出された清水健太郎さんは大人気になりました。

それに憧れた若者の多くも真似てパンチパーマとなったわけです。

しかし1980年代になると、「見た目に威圧感がある」「喧嘩の際に髪の毛が捕まれにくい」などの理由で、

パンチパーマを反社会勢力の関係者の多くが好みました。

このため、「いかつい」「怖い」という印象が浸透し、次第に敬遠されるようになりました。



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